1982年 9月23日 埼玉県川越市に生まれ、6歳の時に父からバイクを勧められ、ここから清成龍一のバイク人生がスタートする。バイク中心の生活が始まったものの、幼少の頃は体も弱く小さく細かった事もあり、正直バイクは大嫌いだったが、どうにかバイクに乗り続け、9歳で SRS-J (鈴鹿サーキット レーシング スクールジュニア)に入校しライディング学び、15歳から17歳までの2年間 SRS-Jチームより全日本125ccクラスに参戦。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、18歳の時に 名門チーム Team高武RSC に入り、全日本250ccクラスにステップアップし2年間参戦。 だがここまで来ても やはりバイクが好きになれずにいたが、19歳の頃 周りの支えや助言のおかげで 真剣にレースに取り組むことを決意。そして2002年(20歳)は 全日本ST600でチャンピオンを獲得し、2003年にはワイルドカードで参戦したWSS600で2位を記録し、そして事故で亡くなった加藤大治郎選手の代役としてMotoGPに参戦するも、年間ランキング20位。

 

 

 

 

 

 

 

 

2004年(22歳)は 新天地イギリススーパーバイク選手権(BSB)にHM-PLANT HONDAから参戦。初年度は慣れないサーキット慣れない環境に悩まされランキング6位でシーズンを終える。しかし、翌2005年(23歳)は12勝をあげ年間ランキング2位を獲得。転倒が多いシーズンでもあったため、チャンピオンには届かなかったものの手ごたえを掴む。2006年(24歳)は念願のBSBのチャンピオンを獲得、2007年もそのタイトル防衛に成功した。2008年(26歳)からはワールドスーパーバイク選手権にTenKate Hondaから参戦。3勝を挙げ、年間ランキング9位。2009年も同チームで参戦するも 年間ランキングは11位。

 

 

 

 

 

 

 

 

2010年(28歳)は HM Plant Honda からBSBに再び参戦。最終戦までもつれ込んだチャンピオン争いを制し、史上最多3度目のチャンピオンを獲得。 翌2011年も同チームにて、その記録更新を狙ったがレギュレーションの変更などにより、苦しいシーズンとなり、ランキング6位でシーズンを終える。2012年(30歳)はメーカーが力を入れるアジア市場の開拓に貢献すべく、アジアロードレース選手権に参戦。 この選手権ではスーパーバイククラス(1000cc)がなく、約10年ぶりのスーパースポーツクラス(600cc)での参戦となったがチャンピオンを獲得。2013年は再びヨーロッパに戻り、BSBに SAMSUNG Honda(旧HM Plant Honda)から参戦したがセットアップに苦しみランキング6位。 2014年は、それまで在籍していたHONDAを離れBMWに移籍し、BMWにBSB初となる優勝をもたらし7勝を挙げ、ランキング2位。 2015年も同チーム BUILDBASE BMWよりBSBに参戦するも度重なるマシントラブルによりランキング20位。2016年は、SUZUKIワークスとなる Bennetts SUZUKI (Halsallr Rcing Team)に移籍し最多タイとなる4度目のチャンピン獲得を目指します。

 

 

 

 

 

 

 

 

また、FIM世界耐久ロードレース選手権の1戦である鈴鹿8時間耐久ロードレースにおいて 2005年、2008年、2010年、2011年に優勝、2015年はTeam KAGAYAMAから参戦し3位表彰台を獲得するなど、耐久レースでの経験も着実に重ねている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

To be continued...

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